三次元世界の淵に眠る

雑記ばかりを垂れ流します。ツイッターから一度離れてみようとした結果こうなりました。

少女は理想の中で生きていく〜カードキャプターさくら:クリアカード編〜

数ヶ月前、テレビの番組表でカードキャプターさくら:クリアカード編を見つけた。調べたら去年放送されていたようで、再放送していたようだ。アニメの情勢を掴めなくなったことを痛感する。

 

私もかつてさくらちゃんの奮闘に一喜一憂していた者の端くれである。クロウカード編を見ていたのか、さくらカード編を見ていたのか定かではないため、端くれ中の端くれであるが。再放送は既に18話まで到達していたが、特に何も考えず予約をした。自身の性格上、1話から見ていきたいのが常ではあるのだが、そういうこだわりがなくなってきているのかもしれない。

 

ということで、今更ながら数話ではあったがクリアカード編を録画して最終話まで観た。最終回は来週も変わらず続きそうな終わり方だったので、思わず「えっ!?」と叫んでしまった。

 

約20年前の作品にこうして続編があることは、なんとも感慨深いものがある。当時さくらちゃんに釘付けだった少年少女は、ほとんどがその理想を過去に仕舞い込んで社会人となってしまっているだろう。当時さくらちゃんに見惚れていたオタクたちも、そのほとんどは古の碑文として捉えているのではないか。さくらちゃんをずっと思い続けていたかつての少年少女やオタクたちもいるとは思うが。

 

しかし、さくらちゃんは20年の歳月を経ても2、3年しか成長していない。淀んで暗く厳しい「現実」の中で生きていく「大人」になってしまったかつての視聴者(自分も含めて)と、明るく華やかな「理想」の中で今なおも生きていくさくらちゃん。その関係性から、時の流れの残酷さを感じずにはいられない。

 

だが、この幻想は20年間全く変わらず存在している筋金入りの理想だ。友人から、「魔法少女モノは理想的な家庭を描く不文律がある」と聞いた。確かに言われてみれば『なのは』も『まどマギ』も理想的な家庭を描いていた。二階建ての大きな家、高そうな家電製品や生活用品、店に出てきそうな料理が背景によく映される。そういった理想を見るたびに僅かな苦しみを感じるのは、「大人」になってしまった証左だろうか。

 

しかし『CCさくら』を見ていると落ち着いた心持ちになるのも確かだ。それは20年間変わらず命を吹き込み続けている声優陣や、暖かな色調で物語を彩るアニメーター陣のおかげだろう。緩急はあれども全体的に落ち着いているので、アニメ界のクラシック音楽と言っても過言ではない。

 

またいつか、必ずさくらちゃんに出会える日が来るだろう。あの理想に出会える日が。