三次元世界の淵に眠る

雑記ばかりを垂れ流します。ツイッターから一度離れてみようとした結果こうなりました。

少年少女の活躍は確かに一人のはみ出し者を救済せしめた〜「ひぐらしのなく頃に」から生まれた一人のオタク〜後編

ひぐらし」に触れて間もなく、ワテは「ひぐらし」1期全巻を踏破した。やはりホラー要素特有のドキドキ感と、その後どうなるのか気になる好奇心で見続けた。今思えば、EDからの次回予告の完璧すぎるほどのセンスに惹かれていたのかもしれない。とりあえずどハマりしたのは確かだ。

しかし当時のワテは田舎暮らしの分際で中学受験に明け暮れる日々になったので、なかなかツタヤにも行けなくなった。また1期2期という概念を持ち合わせていなかったため、「ひぐらしのなく頃に解」を知る機会もなかった。

 

こう振り返ってはいるものの、タイトルで察せられるように、ワテは小学校時代なかなかのアレであった。そのためワテにとって小学校時代は暗黒時代で、特に4〜6年生の間はそんじょそこらのファッションメンヘラには負けないレベルで精神がアレだったため正確な記憶を引き出しにくい。まあこの小学生にしてこの「ひぐらし」ありと言った感じである。スタンド同士は引かれ合うだとか、触媒無しの場合は精神が似通った英霊が召喚されるとか、そんな感じで「ひぐらし」とあーあ出会っちまったかとなったのかもしれない。

 

とりあえず小学校時代に「ひぐらし」と出会い、これがワテの人生を大きく変えていくことになる。地獄の塾による甲斐あってか、中学受験でそれなりの中学校に行くことになった。その中学で一人の大切な友人と出会うことになる。つまるところ「新しい風」である。

 

ワテは小学校時代の反省を踏まえて、目立たず敬語で話し、自分の考えを見せない生き方を模索していた。そのためどのクラスメイトとも距離をとっていた。そんな時、あるきっかけで物語が大きく動くことになる。確か、ふと「ひぐらし」のキャラクターが目に入ったのだと思う。どういう流れで目に入ってかは忘れた。机の上に置いてあるノートに、竜宮レナが描かれてあった、と思う。ここら辺は記憶が曖昧だ。少なくとも、「ひぐらし」関連の何かを見た。そしてそのノートを広げているクラスメイトに声をかけた。

「これ、ひぐらしのキャラ?」

と確か言ったはずだ。そこから、いまでも交流のある友人との出会いが始まった。

 

ワテにとってこの出会いがなければ、今の自分は絶対に存在し得ないという確固たる実感がある。「問おう。あなたがわたしのマスターか」と同じくらいの重要性を持っている。「出会い」という言葉には、「恋愛」という要素がだいぶ盛り込まれているように思えてならない。ワテにとって「出会い」とは、人生に大きく影響を与えた人との巡り合わせと捉えている。まあそれには恋愛も当然含まれるのかもしれないが。

 

ただ、「ひぐらし」がなければ友人への一言も無いし、そこからの「オタクの青春」もなかったかもしれない。ワテにとって「ひぐらし」の持つ意味や価値は、作品内に留まらず、人生に明らかな好転を生み出した。そのため、どれだけ「ひぐらし」という作品に批判の余地があり、他のアニメ作品より陳腐さが見えたとしても、ワテにとって人生を変えた作品として不動の殿堂入りアニメなのだ。

 

中学の友人と出会ってから「ひぐらし」だけでなく、さまざまな知識を友人から貰った。何よりも「オタク」という概念、つまりアイデンティティを共有することができた。ただのロクでも無いガキンチョとしか自覚することができなかった自分に、「オタク」というある意味肯定的な自己確立の要素を取得できた。そこからは「オタク」として、アニメだけでなくさまざまなものにネット内で触れていった。

 

少年少女たちの言動に、或るろくでなしは目を奪われた。少年少女たちの出会いは、或るろくでなしを現実に繋ぎ止めた。少年少女たちは幸せな世界を掴み取り、或るろくでなしは救われた。

 

少年少女たちの活躍は、確かに一人のはみ出しものを救済せしめたのだ。「オタク」という概念を齎してくれたのだ。

 

今でもそのろくでなしは、「オタク」として生きている。

 

 

追記

今思えば、中学受験で苦しんでいたという経験はK1と重なるので、無意識のうちにシンパシーを感じていたのかもしれない。